過日、「元和九年・覚書(閏八月十八日~閏八月廿日)」において、下記のような越前宰相・忠直に関する記事をご紹介した。
| (松平忠直)
松平忠直家中ヘノ | 一、越前之宰相様之衆罷上候時、舟かり申候ハヽ、かし不申、御注進可申上旨、 御意候事、金子喜
船ノ貸与ハ許サス | 左衛門書状ニ、右之様子申来候を、則、深野左介を以、書状懸 御目候ヘハ、浦々へ可申触之由、
浦々へ触出ス | 被 仰出、御郡奉行衆へ申触候事
これに関し、ツツミ様からコメントを頂き、豊前における忠直卿の行動などについてのご教示や、資料などのご紹介を頂いた。
忠直公の配流地は、細川藩領・豊後鶴崎の目と鼻の先である。何らかの交流があったのではないかと勘繰りたくなるが、上記文書のごとく、舟さえ貸すなというのだから、強力な幕府の姿勢が見て取れる。
岡藩中川家の文書が配流後の忠直公の事について詳しく記録しているらしい。
ツツミ様のコメントを頼りにいろいろ調べてみたら、忠直に迫る~越前宰相の狂気と正気~ (BoBoBooks)・著者: 吉川博和という本がKindle版で出ていることを知った。
WEB上にその一部が紹介されていた。まずはこれを読ませていただいて、後程Kindle版を読もうと思っている。
忠直卿のあの激しい狂気ぶりは何だったのだろうかと思わせる、豊後における恭順ぶりが嘘のように思える。
このさい、菊池寛の「忠直公行状記」も読んでみようと思い青空文庫の御世話になった。