昨日は借りていた本の返却日となったので図書館行き、特段プリントの予定もなくいろいろな資料を眺めていた。
我家と先祖を同じくする平川家の「平川文書」が気になって目次を眺めていると、古文書類とは別に平成10年に書かれた、ご子孫の一文の冊子が添付されていた。
「平川家文書」は貴重品扱いとなっているから、その閲覧にあたっては手を洗うことを求められる。
平成10年の冊子だが、同じ袋に収められているため同様の扱いだそうな・・
読んでいるとどうも違和感を感じる。新たに書き起こされた、共通の祖「磯部氏」から繋がる系図が間違っていることにも気づいた。
この間違った系図(下の写真)もさることながら、かなりの思い込みがあって若干わき道にそれた部分が見て取れる。
わずかな間違いも見て取れる。筆者に連絡を取りたいところだが、「個人情報」がネックとなっていて、教えてもらえない。
間違った思い込みが修正されることは望めない。
この図によると八人兄弟(妹)の二男庄左衛門の子太兵衛が平川姓を名乗ったとされるが、これが間違いである。
兄弟は長五郎と庄左衛門の二人であり、庄左衛門に六人の子が有り、嫡男市右衛門の子が平川太兵衛である。
我が家は庄左衛門を初代とし、次男である二代目が母方の姓を名乗って今日に至っている。
何故磯部家の嫡流が平川姓を名乗ったか、不思議に思って居られるようだが、母親の家の姓を名乗ったのではない
かと推理されているが、もしそうだとすると市右衛門と当家の又之允の生母は違うという事になる。
さてこれは如何だろうか。父・庄左衛門は病気がちで熊本入りするとき生国へ帰国したい旨を兄・長五郎から申し
出ているが、三齋公は八代へ来て養生することを進めている。そんな状態ではあり得ない話であろう。
いろいろ推理を働かせて先祖を想うことは結構な事だが、それが思い込みとなってしまうことは大変危険である。