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Channel: 津々堂のたわごと日録
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■清田家系図を補強する

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 先に「エピローグ・清田家系図」を書いた。エピローグとしたように、清田家についてはほぼ結論が出たのではないかと考えている。
そんな中、寿閑(鎮乗)の実母を「大伴宗麟女」と記載してきたが、このことについてコメントをいただいた。
寿閑は志賀親度の男子であり、清田家の養子となった。志賀親度の室が以下にご教示いただいた奈多夫人の娘である。

「大友宗麟公の娘ではなく、服部右京亮と奈多夫人夫婦の娘です。
大友宗麟公が、親戚にあたる服部右京亮から美貌の妻(八幡奈多宮の奈多鑑基の娘=奈多夫人)を奪って傍に置き、1553年に大友宗麟公の命令によって服部右京亮は殺害され、それにより未亡人となった奈多夫人は大友宗麟公の継室となりました。奈多夫人には服部右京亮との間に娘が1人いて、その娘が大友宗麟公の養女になり、その娘が志賀家に嫁いだ訳です。」

 つまり、寿閑には大友宗麟のDNAは繋がっていないことになる。

 服部右京亮という人物について、私は知識を持ちえないが、ウイキペディアで奈多夫人を改め調べてみるとまさにご指摘の通りである。大伴宗麟という人物の異常な行動が見て取れる。

 


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