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Channel: 津々堂のたわごと日録
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■上田太郎右衛門の家系

 寛永前期、忠利公の命を受け葡萄酒つくりに尽力した上田太郎右衛門の家系である。           +--上田忠左衛門-----+---久兵衛・・・・・・・・・・・・・・・・・・→細川藩家臣・上田久兵衛家(200石)        |         |        |         +---加左衛門(平戸在叔父養子)        |         |                  |...

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■炎天下の図書館行

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■井田衍義・書抜しらへ 郡府舊記 十八(14)

 六三三  (二回に分けてご紹介する)   内檢方免配次第一早田幷大小豆其外早ク出來仕候毛上下見帳と仕せ、坪に 引合其坪之有米を見立、種子に成候程殘置、先作徳共に 徳米を掛取込申候事、〇中田も遅速有之ニ付出來仕候 分、思々下見仕せ二度にも三度ニも右早田のことく裁許 仕候事、〇晩田畑方共ニ出來仕候毛上、立損不仕候様ニ 是又下見を仕せ、坪々見届徳米其品々ニ掛取込申候、田...

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■新刊本・稲葉継陽著「細川忠利 ポスト戦国時代の国づくり」

         今日所用で外出した折、書店により見つけた新刊書(2018/07/18出版)を即購入してきた。著者は熊本大学永青文庫研究センター長の稲葉継陽教授である。吉川弘文館の歴史文化ライブラリーの最新刊本である。同ライブラリーの近世史の中に於いて、個人が取り上げられるのは大変稀なことである。 ご一読をお勧めする。 永青文庫研究センター...

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■井田衍義・書抜しらへ 郡府舊記 十八(15)

    (六三三のつづき)一土免ハ春定置候年々の免を見くらへ、其所は畝相・水掛 或ハ野山海川にかかわり、四木三草も有之所、もろ穂片 穂百姓の盛衰、扨又公義御配分の御免反別之掛り米、人 畜之多少迄吟味仕定置申候、たとひ満作ニても土免を上 ヶ候儀ハ不成候、天災事ニて損毛過分之時は土免を破り 内檢仕候、少つゝの申分毎年有之候間少々損引を仕、殘 分ハ土免を通し申候、如是念を入土免を一年定置候へハ...

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■上田久兵衛・舅殿のこと

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■御恵贈御礼「椰子の実に托す・血路歴程」

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■「日本切支丹宗門史」と細川家(4)

  1610年(慶長十五年)   ・豊前と豊後の一部の大名長岡越中殿も亦、宣教師達に並々ならぬ好意を示した。    公方の孫女と結婚した内記殿(忠利)といふこの大名の世子も亦、劣らず同情を寄せてゐた。彼は、    中津に居住し、司祭一人と修士一人のゐる一傳道所の費用を負擔してゐた。そして年々生母ドンナ・    ガラシアの記念のミサを立てることを忘れなかつた。   1611年(慶長十六年)...

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■井田衍義・書抜しらへ 郡府舊記 十八(16)

 六六三   御代官中へ申渡覺一津端御蔵拂不指閊様申渡置候處、毎年御蔵前ニて滞、百     閊=つかえる 姓致迷惑候由ニ付、御米受取様之格書付御蔵方へ相渡申 候、諸事入念彌不支様可被致沙汰旨申達置候、則右之格 其外定之通奥ニ書付相渡候間、此通村庄屋百姓共へも得 斗可被申渡候、此段各無念ニ候ハヽ可為越度候   覺一籾粉米無之筈候得共、五勺指一指之内ニ見亘し一ツ二ツ...

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■ベランダから見る今日の星座

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■井田衍義・書抜しらへ 郡府舊記 十八(17‐了)

 六三七   御救立一巻一諸御郡之一至て零落之村々ハ、近年追々御救立被仰付候 處、間には村高不相應之御出方にて不都合之儀早漏得共、 其儘差置候へハ可及亡所様子ニ付、願之通被仰付候處、追 々も今迄之通ニては所詮不被及御手ことに付、以來左之通一御救立之儀、零落之萌之節取しらへ有之候ハヽ、事輕可相 濟處、其儀無之故大造貮成行候と存候、依之以來ハ何れ 之御郡何れ之手永と無ク御郡代中として被引受、寛急を...

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■「日本切支丹宗門史」と細川家(5)

 1619年(元和五年)  ・豊前では、當時ディエゴ加賀山隼人(興正)なる者の赫々たる殉教があつた。前年、領主の越中殿   は、彼と一家の者を全部ひどい小屋に監禁した。ディエゴは、其處で殉教する覺悟であつた。   越中殿は、豫て将軍の命令を求め、待つてゐた。(註24)大殉教の後、政廳から歸ると、彼は隼人に使を...

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■細川家史料に見える「相良清兵衛事件」(1)

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■そよりともせいで秋たつ事かいの

 あまりにも暑い日が続くと、一昨日が立秋だったなどと聞いても違和感がある。         そよりともせいで秋たつ事かいの  という、上島鬼貫の句を思い出してごもっともと思ってしまう。 昨晩は自衛隊で夏祭りでもあったのか、突然打ち上げ花火があがってベランダから眺めたことであった。真正面の特等席、数百メートルも離れていないところで物凄い音とともに打ちあがるが、極暑を吹き飛ばしてくれる感じである。...

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■井田衍義・垣塚しらへ 郡府舊記 二十(1)

 この「垣塚」とは垣塚文兵衛のことである。             名は尹長、一名文、字は成章、文兵衛と称し、東皐と号す。             奉行所物書依り昇進して根取となり、擬禄百石を賜る。             官職制度考を著はす。又書を能くす。會て字體俗様を廃し             て草体を用いんことを建議せり。著書別に数部あり。...

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■買いました「重ね地図で読み解く京都1000年の歴史」

    カラー版 重ね地図で読み解く京都1000年の歴史 (宝島社新書)                                      宝島社 内容(「BOOK」データベースより)...

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■井田衍義・垣塚しらへ 郡府舊記 二十(2)

 六四二   右(六四一)ニ付垣塚文兵衛追々しらへ之内書抜左之通一肥後國十四郡   内  貮萬千七百六拾八石九斗七升六合   天草郡  貮萬貮千百九拾貮石三斗貮升     球磨郡 殘て  拾貮郡 四拾八手永九百四拾五ヶ村   内  貮拾九ヶ村             託麻郡  貮百八拾六ヶ村           益城郡  四拾八ヶ村             宇土郡  六拾ヶ村...

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■片岡宗善家史料の流出

■ 片岡宗善  (南東16-14)        1、別所吉右衛門     2、片岡新兵衛          (1)留守居組・鍋奉行 五十石 (於豊前小倉御侍帳)          (2)御門番衆 五十石 (肥後御入国宿割帳)         (3)御代官衆 五十石 (真源院様御代御侍名附)         (4)五拾石 (真源院様御代御侍免撫帳)         (5)御留守居衆・田中左兵衛与...

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■上田久兵衛書簡=27,000円

日本の古本屋で見つけた「肥後国熊本藩士 上田休書簡」、東島辰之助宛 6月9日付 巻紙21行追書9行 15×110㎝ 1通。高祖父の書状とはいえ年金生活者には手が出ない。早々には売れまいから、少々考えることにする。

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■細川家史料に見える「相良清兵衛事件」(2)

 5697 七月朔日有馬豐氏宛書状                       頼隆       季正          態以上飛脚申入候、相良壹岐守領内求磨へ為 上使能勢小十郎殿・三上半兵衛殿御出、今朝  日中ニ豊後鶴崎御著候様ニ申來候、豊後も山坂ニ而候間、若小倉通り御越候事も専(ママ)ニ一ツ  も候へハ、御両人御領内御通候條、御心得ニも可被成かと如此候、馬貮十五疋・人足三十...

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