Quantcast
Channel: 津々堂のたわごと日録
Viewing all articles
Browse latest Browse all 7040

■180個の茶入れの行方は・・・

$
0
0

 寛永十一年(1634)九月三日三齋は忠利にあてて、「其元ニて焼申候茶入一箱百八十給候」ことに対して礼状を出している。
八代に居る三齋はそれ以前に、忠利が焼かせた茶碗その他を見たいので船着き場まで運んでほしいと云っている。
川尻の船着きであろうと思われるが、此処からそれらの品物が船便で八代へ運ばれたのであろう。
茶入れ百八十の内、二つを手元に置き跡は家臣に下げ与えたという。
肥後に入国してから二年経過しているが、「其元ニて焼申候」とは地元の焼き物ではなく豊前の上野(あがの)焼だとされる。
(地元にも牧崎窯があったとされるがその場所が特定されていない)
当時の八代の三齋附であったご家臣のお宅に、この「茶入れ」が残されていないものだろうか。

新暦旧暦の違いこそあれ381年前の書状(細川家史料5-1272)がもたらすロマンである。

 


Viewing all articles
Browse latest Browse all 7040