米田家の記録に残る一條家に送られた品物の図である。(これは細川家の贈り物を記録したものではないかと考えている。)
右上には「新渡皿 十」とあり、左上には「嘉多奈(刀)・和喜さし(脇差)」が入った「箱長サ三尺位」の箱がある。
書き込む文字の位置が細かく指示されている。文化十一年五月十七日「御女子様御誕生之節」の御祝いとある。
下には、二枚重ね三つ折檀子(紙)に百匹包みが三つ並べられている。
疋とは江戸時代の金の貨幣単位で、主に儀礼の際に用いた。
銭10文を1疋と称したから100疋=1,000文=1貫文である。金1両が銭4貫文と公定されたことから、小判(一両)を金400疋、一分判を金100疋(一両10万円とすると25,000円相当)と称して授受した。
元文一分判(表・裏)
つまり一分判金を一枚包んであるという事である。三疋で75,000円相当、大名のお付き合いは中々大変ではある。