文化八・九年の「豊後一揆」について勉強している。
その発端は肥後との国境に近い「四つ原(よつばる)地区」で火の手が上がった。
四つ原とは「柏原・恵良原・葎原(むぐらはら)・菅生原」であり、都合4,000石程の地域である。
この地を初発とする一揆は燎原の火となって、二豊の地(八藩七領)の多くに伝播した。
菅生原は通常「菅生(すごう)」とよばれる村だが、昭和27年「菅生事件」という公安警察によるでっち上げ放火事件があった。
交番がダイナマイトで爆破され、共産党員である村人数人が犯人として逮捕されたというものである。
一審は有罪、しかしながら公安警察の警察官が作り上げ自分で放火したことが判明して、二審では無罪となった。
ところがこの警察官はその後警察に復帰し大いに出世していく。現代においては到底考えられない事である。
おぼろげながらというのは、私がまだ10歳の歳の出来事であり直接記憶しているのではない。
中学生になり色々勉強したが、クラスメイトに後東京大学に進んだ学友がおり、この人からいろいろ聞いた話が頭に残っているように思う。
豊後一揆の発端となったこの地域は、いまでも穏やかな農村地帯である。竹田藩の悪政に堪えかねて起こされた一揆は、農民の要求が呑まれた稀有な事件として知られる。
しかし一揆は豊後一国に広がりを見せ、熊本藩領の久住・野津原・鶴崎・佐賀の関等にも大いなる影響を与えた。
「豊後一揆」にしろ「菅生事件」にしろ、これ等生々しい事件は時を経て忘却の彼方にある。