Quantcast
Channel: 津々堂のたわごと日録
Viewing all articles
Browse latest Browse all 7040

■御恵贈御礼「金津於兎遺歌集」「日本近代医学史」

$
0
0

 インターネットの世界はいとも簡単に80年近い時の流れを埋めてくれた。
私が生れる前に父親が作成していた「親族の略系図」でのみ存じ上げていた「三従兄弟(みいとこ)」と引合せてくれた。
御恵贈いただいた「日本近代医学史」の著者・金津赫生氏である。
曾祖父を一にしているわけだが、曾祖父の岳父・上田久兵衛は高祖父ということになる。
その上田久兵衛について記したブログに書き込みをいただき、記名からすぐに判明し、其の後メールを通じて過去の時間を埋めるようにやり取りをしている。
今般二冊の書籍を御恵贈いただいた。「金津於兎遺歌集」は昭和51年に刊行された歌集である。
氏のお父上・金津於兎三郎氏の歌集である。亡くなった母から「句集」を出されたとの話を聞いていたが、今般「歌集」であることが判った。
今一冊はDrとしてのお仕事柄、「日本近代医学史」を上梓され、合わせてお送りいただいた。
厚く御礼申し上げる。

「姓」からお気づきだろうが、氏はガラシャ夫人に殉死をされた金津助次郎のご子孫である。
於兎三郎氏は御養子だそうだが、母方の姓・金津氏をお継ぎになった。ご夫人が父の二従兄弟にあたる。
そして今回頂戴した「歌集」にある「略系」から、於兎三郎氏は神風連の挙に参加され戦死された中垣景澄の孫にあたることを知った。
與倉中佐宅を襲撃するにあたり采をふり、連隊長旗を奪うも本人が不在であったため熊本城内に馳入り、火砲による反撃を受けて壮烈な戦死をされている。
この時代を生きた方々は、その強靭な意思により命を懸けて政治的行動をなし、あたら若い命を失われている。景澄氏は39歳であった。
改めて、「神風連血涙史」に目を通したが、お祀りしてある桜山神社にお参りに行こうという思いを深くしている。

私は一歳十か月ほどで父を亡くしたが、氏は五歳でお父君を亡くされている。戦中・戦後の厳しい時代を共に乗り越えて今日がある。
平成の時代が終わり、また新たな歴史が始まろうとするときに、音信を通してだが昭和の時代にタイムスリップしている。
この出会いを感謝しご厚誼を深めていきたいと思っている。


Viewing all articles
Browse latest Browse all 7040