古い柳沢市正(薮田重守)宛て肥後熊本4代藩主・細川宣紀消息軸・肉筆・箱・大名消息
柳沢市正にあてた細川宣紀の書状である。柳沢市正(薮田重守)とは柳沢吉保の家老を勤めた人物である。
細川家と柳沢家の関係は深いものがあり、宣紀の父(養父)・綱利が柳沢吉保の邸宅に夜になると通いつめ、「夜中越中」といわれた逸話が残る。
夜になると来客の多い吉保邸に詰めたということである。又、二人の男子が亡くなると、吉保の三男・安基を養嗣子に迎えようとさえしている。これは幕府の反対により実現しなかった。
このような事から綱利と市正も親しい間柄であったろうし、宣紀も又交流が続いていたのであろう。
実は、細川家家臣に「薮田氏」がある。まさに薮田重守の嫡子を初代としている。過去にもいくつか記事を書いている。
・綱利と柳沢吉保の仲・・? ・夜中越中 ・細川家家臣・薮田氏
中学校の同級生に薮田姓の女の子がいた。熊本に薮田姓は珍しい。細川家家臣であったのではないかと思っているが、結婚して渡米されたと聞く。
これでは確認の仕様がない。