現在K家の文書数点を読んでいる。それぞれ興味ある物だが、その中に「御書出」に関わる覚書があった。
御書出とは通常宛行状と呼ばれるもので、「御書出(おかきだし)」とは熊本独特の呼称であろう。
藩主の代替わりにあたって各家に渡されたものである。細川家の御規式にも定められている。
K家の文書は「御書出」を頂戴するにあたっての届け出の要領が記されている。
「御書出写」を提出するように求められているが、これは先代藩主から渡された「御書出」を書き写して提出せよとの事であろう。
これは「大奉書紙」に書くように定められており、「吉文字屋」の紙が「宜由(よろしきよし)」とある。
吉文字屋とは当時新一丁目にあった雑貨屋である。(新熊本市史・通史編第三巻 第四節 化政期以降の城下商工業の展開 p731表21 熊本町の商工業)
この届け出はK家の七代目がなしたものらしく、それによると当時の藩主は齊樹公だと考えられる。
松本寿三郎元熊大教授の「近世細川家における御書出交付について」によると、 文化九年九月十八日に210通の御書出が交付されている。
この論考にあるように、忠利・光尚・綱利代と宜紀以降では御書出しの交付は全く異なっている。前者は召し出しの時点に公布され、後者は藩主の代替りの際に公布された。900~1,000程度のものが一時期に集中して交付されるわけだから、担当者の繁忙はとてつもないものであったろう。
御書出の交付にあたっては筆功銭というものが徴収されていた。(上記論考3ページ参照)
各家では桐箱に納めて、何事か事ある時は一番にこれを持ちだしたという。命の次に大事なものであった。
我家に残る一点の御書出は、上包みもなく裸の状態で私の史料箱に収まっているが、せめて奉書紙を包んでおくべきだろうと思っている。
もっとも吉文字屋は存在しないから、新(町)一丁目に近い塩屋町のB店を訪ねてみようか・・・・・・
同じ時期の福田次左衛門宛ての御書出