■1月26日忠利着陣す
天草島原の乱における光尚の動きに着いては ■寛永15年1月5日 で書いた。父忠利は一月十二日登城、出陣の命を受け即日江戸を発った。そして二十六日には有馬に着陣している。わずか十四日の旅程であるが、病身の忠利にとってはつらいものがあった。二月二十七日の落城まで過酷な戦いが続くことになる。寒さが募る海辺の地である。...
View Article■熊本での女歌舞伎
中原雑記(肥後古記集覧巻二十・所収)に加藤清正が「御仕立被成候」女歌舞伎に触れた記事があった。いろんな情報をかき集めて記したという感があるが、それが又真実味を醸し出していて面白い。 清正公御代女歌舞岐(伎)御仕立被成候時、郡又市といふ大夫の座本より御下シ被成候由 ・兵助 是ハ肥後国合志郡高場(竹迫カ)の生レ也、仍て竹バ兵助と名ノル ・長助...
View Article■ミーハーな私の感想
DAIGO語でいえば、B・S・N・A・Oなどここ一月ほどに起きたミーハーな出来事がなかなか面白い。 ・清潔な感じでいつもTVをにぎわしていた女性タレントBが、テレビCMや番組から消えてなくなった。 あの不道徳加減や、その後のLINEの漏洩など一気に奈落の底に落ちてしまった。まさに自業自得といわなければ成らないが、再起はあるか???...
View Article■雪山老人書「子供手本文章之寫」 (一)
「子供手本文章之寫」とあるが、とても子供の手本となる文章ではない。諧謔にみちた大人のための小話という風情である。 よく味わってお楽しみ下さい。 ○如仰改年之御慶目出度申納候 然者為御年玉不老不死之薬一升一合被懸貴意忝存候 早速摺鉢にてこねまろめ申候處大略こつけ牛の金玉程に成申候 ○橙投致し候處御侍衆之膝口に打中て甚被致立腹候 右之御侍衆者折節見受候仁にて候...
View Article■興長殿へ寄之殿遺書(二・了)
一遺物なとヽ申儀は曽而存寄無御座候 可被遣道具御座候ハヽ 相組之衆へ誠之形見ニ被遣可被下候一相与之衆へ書置可仕候へ共■而不入事と存其儀無御座候 若相果 申候ハヽまことに無十方若年之私江尤御意とは乍申今迄 相組与頭なと申つる段御心外御■可申様も無之候 内々私 儀は御奉公勤申度心底御座候 己希候故一度何も一所ニ而 御奉公の道をと存候処残多存候由可被下候 常住も病者 ニ而御座候...
View Article■雪山老人書「子供手本文章之寫」 (ニ)
○明晩は百物語御申談之由一段之御事暮比より致参上候様被下忝致承知候 然處しゆびん徳利は御互用意不仕候而は難成則拙者有合之しゆびん御使江 為持遣候 是は御互迄にて餘人には決而相成不申候 ○今朝御口論之節十之進殿貴様御事をくそともおもわぬと被申候に付御立腹之由御尤に候 乍然此節迄はくそとおもはせ可申候間拙者被對御堪忍可被下候 ○私先祖國常立尊と申儀祖父代より申傳候...
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