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Channel: 津々堂のたわごと日録
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■住江次郎右衛門殿

住江小右衛門を初代とする丹後以来の住江家の10代である。初名次郎吉(次郎右衛門)  御留守居御番頭・大組頭 千石           文政三年十二月(比着座)~文政五年九月 留守居番頭           文政五年九月~文政十三年六月 番頭           文政八年三月~文政九年九月 鶴崎番頭           天保二年七月~天保十三年一月 番頭...

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■奥田太郎兵衛殿

 奥田家は伊丹隼人正の三男加賀山金左衛門(転切支丹)家の8代目・関之助の事である。金左衛門(之久)の孫、同名金左衛門(之勝)から奥田を名乗っている。その後太郎兵衛(関之助)の父の代に至り加賀山姓に戻した。この系図は転切支丹に関わる諸家の史料(転キリシタンの穿鑿参照)の一つとして、上妻博之先生がまとめられたものである。上妻先生も奥田家のご一族とお聞きした。...

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■御供立被減候覚

 つい最近ヤフオクで手に入れた「天明四年御供立被減候覚」である。当時の藩主は重賢公であるが、例年の御供立の人数211人を三年間115人とする届け出書の控えである。              一、天明四年ゟ三ヶ年御省略ニ付御供立御道               具御人数等御減被遊候付而左之通               公義江被仰達候事                      御用番之御老中...

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■エコノミークラス症候群状態

              静脈の浮き上り来る酷暑かな  横光利一...

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■正保という時代

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■熊本藩法制史料集 / 小林宏 高塩博 1996年

                    熊本藩法制史料集 / 小林宏 高塩博 1996年                                               只今8,000円 欲しい・・けど高い

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■天保八年の今日、大石十郎右衛門歿す

 180年前の今日、「肥後古記集覧」の編者・大石十郎右衛門が亡くなった。十郎右衛門は大石 亅(ススム)家の十代、大石鳳兮 名は長龍、字は潜夫、一名眞麿又十郎右衛門と少子、鳳兮と号す。藩に仕へ穿鑿所目付、郡代(文政十二年三月~文政十二年四月 飽田詫摩郡代(上・下益城助勤)(文政十二年四月~天保二年五月...

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■熱中症?

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■松野小源太殿

松野小源太は大友左兵衛義鎮(入道宗麟)の二男・大友道孝(刀根川親家 又 田原親家 ドン・セバスチャン)系松野亀治家の10代目である。道孝と嫡男で初代の親英は転切支丹である。三代から六代までは養子で男系の血はかなり薄れている。代々亀右衛門を名乗っているが小源太も同様である。以下のような要職を勤めた。              文久二年三月(比着座)~文久三年三月 番頭...

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■7295 写本 天草軍記 全10巻 10冊揃 江戸期 島原の乱 切支丹

                                           7295 写本 天草軍記 全10巻 10冊揃 江戸期 島原の乱 切支丹

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■遠藤周作ー「日本の聖女」

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■山本七平著「江戸時代の先覚者」

                         こちらも段ボール箱から生還した一冊、めでたく本棚に居並ぶことになった。購入した後一通り読んではいるが、なかなか難しい内容に難儀したことを覚えているが、今回改めて読み返してみると大変面白い。第二章に 青陵の「米テク」藩政改革論...

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■右田牛之助殿

 右田牛之助は忠利公に殉死した右田因幡統安を家祖とする徹家の四代である。右田因幡は大友家牢人であり豊前において召出された。初代は何故か因幡の曾孫となっている。右田牛之助 二百石 御小姓組二番御鉄炮頭御中小姓組          又 御鉄炮三十挺頭 二百石御足百石          又 御側五十挺頭 二百石 宝暦八寅十一月廿八日当役

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■右田牛之助殿

 右田牛之助は忠利公に殉死した右田因幡統安を家祖とする徹家の四代である。右田因幡は大友家牢人であり豊前において召出された。初代は何故か因幡の曾孫となっている。右田牛之助 二百石 御小姓組二番御鉄炮頭御中小姓組          又 御鉄炮三十挺頭 二百石御足百石          又 御側五十挺頭 二百石 宝暦八寅十一月廿八日当役

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■虹たつ

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■服部武右衛門殿

 服部武右衛門は服部弥門家の五代目である。服部家では武右衛門もしくは弥右衛門を名乗る人が多い。この指物の図は武右衛門が鉄炮五拾挺頭の職を辞する時期に提出されている。服部氏の出自はよくわからないが、家紋は「花杏葉」、大友家に連なる資料は見えないが?     5代・武右衛門  (1)五百石 御番方八番組触頭 屋敷・千段畠 (肥陽諸士鑑)             (2)拾挺頭 五百石...

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■林外記の不可解な死

 細川光尚没後の慶安三年七月朔日、その寵臣ともいわれた大目付・林外記が佐藤傳三郎に討ち果たされた。この文書は傳三郎の口上書の写しであるが、なぜ故の凶行であるのかは記されておらず、原因は闇の中にある。 奉行所日帳は当日の記録として次のように記している。    一、朝五ツ時分林外記所へ佐藤傳三郎意趣有之由ニ而仕懸打      果候伊藤十左衛門・同左内・同金十郎も懸合候處左内相果候...

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■21:28 震度3

 連日の暑さで少々疲れ気味、早々とシャワーもしたし、今日は早寝をしようかと思ったらぐらりと来た・・・3くらいかなと思ったら案の定である。暑くて地下のナマズも耐え切れなかったか。昨日は立秋、まったくらしくもない昨日今日だが、明日は待望の雨が予想されている。台風は熊本市内にはまったく雨をもたらさなかったから、10㎜くらいは降ってくれないかなーと思うのだが。

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■テレホンカード

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■佐藤傳三郎のこと

先の「林外記の不可解な死」事件についての雑撰録の記事である。佐藤傳三郎も自ら落命するこの事件は、当事者両方が亡くなっており、その真相は闇の中である。

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