■街角風景・ご近所の犬
散歩で見つけたご近所の犬。歩いて10分ばかりの所に小さなバーがある。そこの看板犬である。店主の人柄を思わせるようなこの愛犬、まだ開店前でお犬さんの顔の左上にCLOSEDの看板がぶら下がって全体像が窺えないが、なかなかのご面相で御客に愛敬を振りまいている。
View Article■井田衍義・御惣庄屋十ヶ條 縣令條目 廿一(13‐了)
七六四 御代官御内檢一御内檢徳掛之儀、品々随分入念有躰にいたし、御百姓い たまさる様に可被仕候、右徳掛之儀、其時々根取中へ可 被差出候、徳掛之儀、下免之所土免反別ニ見合心持仕間 敷候、御免之極ハ其所之様子次第御郡奉行差引被仕候、 尤徳掛仕、其徳掛御取立人へ相渡可被申候、御取立方御 算用等手数料代まかせニ被仕間敷事 附、舛付石詰のためし仕候時、御徳掛を見かけ非道成...
View Article■井田衍義・十四ヶ條 會所定法 廿二(1)
今回から、「井田衍義・十四ヶ條 會所定法 廿二」をご紹介します。約20日ほどを予定しています。 〇村々掟札之趣堅相守可申事 七六七 掟一御年貢皆濟不仕内他借返辨仕間敷事一御所務なかは諸觀進入間敷事一五赦免之外商人一切入間敷事右之旨堅可相守也 年號月 御惣庄屋 右は村庄屋木戸先、又は村口二建申掟札二て御座候、此 掟札之儀、妙解院様御入國之上早速被仰付候由承傳申候、...
View Article■細川藩士上田新兵衛の祖父様は、織田信長の庶弟
代々御番頭など藩の重要ポストを占めた上田家は多くの人が「新兵衛」を名乗っている。元々は平清盛の叔父・忠正を祖とする名門中根氏である。嫡流かどうかは不明だが直系に細川藩士の中根氏が居る。一方三方原の戦いで戦死した中根正秋には、家康の命により織田信長の庶弟・信照が養子として入り忠実と名乗った。初代上田新兵衛はその忠実の孫にあたる。 +--平忠盛---清盛 |...
View Article■井田衍義・十四ヶ條 會所定法 廿二(2)
「烏亂者之儀付て御達之趣堅相守可申事」つづき 七七〇一近年町在旅人宿之外ニ烏亂者等入込居、在中徘徊いたし 候ニては無之哉、御郡代中より被及吟味候様頃日及口達 候、然處烏亂者大勢入居候所も有之、廻役共より押指出事 候、畢竟、最初御郡代中より之達筋不行届故と相聞候、 惣躰旅人之儀は旅人宿之外ニ一宿ニても堅ク仕せ不申筈 候處、無其儀、旅人宿之外ニも宿仕せ候者も有之様子ニ...
View Article■井田衍義・十四ヶ條 會所定法 廿二(3)
〇孝心可仕事 七七二 覺 宇土郡大見村 貞享二年六月 四郎兵衛 右は孝心よつて御賞美有之候、其以後之行事、親又ハ自 身死亡之年月・葬墓之在否・子孫之有無・其所々ニ申傳 も可有之候間、委吟味之事一孝行之志厚有之御役所へも相聞、御褒美御扶持方等被下 候者ハ前廉より段々有之内、其孝行之かたちハ色々ニ有...
View Article■新陰流外之物謀略之事
江戸期/肥後/熊本/細川藩/新陰流/居合/速水八郎兵衛?/15×93 「新陰流外之物謀略之事」とある。 肥後新陰流の祖上野氏三代の名前と、分立の弟子・速水八郎兵衛の名前がある。花押がないところをみると写しであろう。 誰かに与えたものであろうがはっきりしない。
View Article■細川藩士熊谷氏二家の先祖は・・?
細川家臣に四家の熊谷氏が見えるが、どうも夫々のルーツは別のように思われる。■熊谷直之丞家(150石)の初代は、竹堂熊谷儀平で京都の生まれ、林家に学び後熊本藩に仕えて侍講となったとされるが綱利代か。 その4代前が熊谷大膳亮(直之)だとされる。若狭国守護であった若狭武田氏の家臣であったが、本能寺の変ご秀吉に仕え、秀次の家老職(50,000石)を勤めた。...
View Article■井田衍義・十四ヶ條 會所定法 廿二(4)
〇賭博等敷儀堅仕間敷事 七八二一博奕御停止之儀は従前々度々及沙汰事候、然處御家中末 々之者迄隠居をかまへ、或道路におゐても密々博奕かま しき手遊いたすもの有之様子相聞、不届之至候、依之猶 又御役人被差出、若右之通之者有之候ハヽ何方之物たり [中ヵ] 共遂吟味、急度御仕置可被仰付候條、此段御家老且又町 方在中共、末々迄不洩様稠敷可被申付候、如此及沙汰候...
View Article■ごっと起き
今朝は時計を見間違えて「ごっと起き」して散歩に出た。5時15分だと思ったら6時15分だった。この「ごっと起き」という言葉は方言だろうが、本来の熊本弁ではないのではないか、WEBで検索しても熊本は出てこない。どうやらお隣鹿児島の方言らしい。ニュアンスからすると「起きてすぐさま」という感じに私は理解している。通常使う言葉ではないが、なぜか当たり前に覚えている。...
View Article■細川藩士平山氏の出自は足守藩主木下氏
侍帳で平山伊一郎家をながめると、家祖は木下内記とある。その孫長助を初代としているが、父の才蔵には享保六年の宜紀公の220石の御書出(宛行状)が残されている。この家祖・木下内記なる人物は、秀吉の正室高台院の兄・木下家定の二男・備中足守藩の家系である。諸資料を眺めながら謎を読み解いたときは、まさに至福の時である。 +------木下家定---+---勝俊(長嘯子) |...
View Article■井田衍義・十四ヶ條 會所定法 廿二(5)
〇別紙血判仕上候役堅之面、堅相守可申候事 七九〇 會所役人 仕上起請文前書一御高札之面幷諸御法度之條々、御郡御格式其外追々御達 筋、毛頭破り不申、身分之慎第一ニ仕、御手永内若心得 違之物御座候ハヽ早速可申上候事一上之御為抜申様成る儀、又は御所務方を初御年貢諸上納 方之儀、兼て心を附見しらへ聞しらへ、若肝曲之取計仕...
View Article■大友一族吉田氏
大友一族に吉田家がある。これを大友家系略系図に入れることを随分長く失念していた。今回侍帳を見直す中で再確認を仕、書き加えてみた。大友一族のほとんどが松野氏を名乗っている中で、吉田姓はどういう由来があるのか、今後の課題である。 義統五男 再興...
View Article■井田衍義・十四ヶ條 會所定法 廿二(6)
〇別紙血判仕上候役堅之面、堅相守可申候事 つづき 七九一 村庄屋 仕上げ起請文前書一御高札之面幷諸御法度・御郡御格式此外追々御達筋、毛 頭破不申様相守、月々無断絶銘々受持之村町人別讀聞せ 判形取置可申候、若御格式背候者御座候ハヽ急度可申上 事一上之御為抜ニ相成申儀御座候ハヽ、不差置可申上事一御年貢諸上納ニ付、不心得之御百姓御座候ハヽ、急度可...
View Article■勉強が大変・・・
今月は満を持してという訳でもないが「細川忠興軍功記」を取り上げることにした。この本は私の蔵書だが、WEBでは「舞鶴市糸井文庫 書籍閲覧システム」で見ることが出来る。これは「續群書類従・合戦部」の抜刷といったもののようだが、前書きも奥書もまったくない。本文は35枚の和紙に印刷、二つ折りで和綴じ製本されているが、二つ折の山の部分に「史籍集覧 細川忠興軍功記 觀奕堂藏」と印刷されているのみである。...
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