■オークションから平野家歴代の宛行状
平野太郎左衛門を祖とする平野家は六家が存在する。平野 大家はその嫡流である。太左衛門を名乗る人が多くあり、人物の特定が中々むつかしいお宅の一つである。オークションに重賢・治年・齊茲・齊樹・齊護五代の宛行状が出品されているが、これとて人物の特定は難しいものがある。そろそろ先祖附を取得してみようかと思っている。 ■ 平野 大 (南東53-13) 太郎左衛門・勝行 1、次部左衛門...
View Article■元和拾年 萬覚書(8)
(元和十年三月)十六日 |国東郡惣庄屋扶持 | 人ノ隠居願ニ肩書 | 一、国東郡惣庄や衆之内、御扶持方被遣候もの、隠居仕度と申上もの共ニ、 御肩書・御印被成候、 御印ノ写ヲ郡奉行 | 写仕、御郡奉行衆へ相渡候事ニ渡ス |井上宗和遣銀駄賃 |...
View Article■左足痛の原因
左足、臀部、背中に痛みがあってなんとも不愉快、散歩もお休みしてしまった。臀部と背中は椅子に座りっぱなしが原因だろうと思うが、左足の脛の外側部分の痛みはSIXPADのせいらしい。...
View Article■英文にレ点を入れたという話
最近「漢文のルール」という本を買って、勉強をしているのだが、本を読んだくらいではなかなか理解できない。いつも日本人というものは凄いなーと思うのは、「おこと点」や「返り点」を考え出して、漢文を訓読することを考え出したことだ。...
View Article■元和拾年 萬覚書(9)
(元和十年三月)十八日 |嶋津家久船難破ノ | 一、嶋津殿米舟、国東郡安岐浦にて破損仕ニ付、薩摩へ、民ア殿ゟ状を被遣候間、御長柄衆弐人申付、処理ニ付家老書状 | 遣候事 | (沼田延元)百姓子ニ樹下寿斎 | 一、樹下寿斎と、勘解由殿と出入有之百姓のむすめ・むすこ、両人ともニ、民ア殿ゟ中津へ被遣候事ト沼田延元ノ出入 |...
View Article■元和拾年 萬覚書(10)
(元和拾年)三月廿日 | (衛則カ) (沢村吉重) (服部)谷衛則室ノ慶事 | 一、谷主膳殿御内儀之儀ニ付、大学殿ゟ、飯田才兵衛・真下七兵衛方へ状壱つ、今日■右之佐太右衛 | (安井) |...
View Article■わずかばかりの運の悪さと・・・
〇 下村巳安 三斎様御附中津ニ相詰候衆 二百石 (於豊前小倉御侍帳) 「伝蔵か父ハ下村己安と申候而山本勘助か孫也、勘助河中嶋ニ討死いたし候時、嫡子・二男 共ニ討死、三男ハ幼少ニ有之候しを、家女かくし置、後ニ下村安笑と申候、其子下村己安三 斎君於豊後召出、御知行三百石被下、伝蔵も部屋住の時より百石拝領、八代江も被召連候、...
View Article■元和拾年 萬覚書(12)
(元和十年三月)廿四日 | (幸長) | 一、野田小左衛門尉、中津へ御算用ニ参候事 | 一、問太郎助ゟ之書物、上り申候事彦山忠有忠興代ニ | (忠有) 得シ座主領分免許 |...
View Article■元和拾年 萬覚書(13)
(元和十年)三月廿六日 | 一、薩摩平成、拾端帆之御舟申付候遣候、御舟頭ハ中屋吉右衛門 | 〃〃〃 | | 一、竹屋喜兵衛・有馬角右衛門、中国へ罷越叓端午ノ帷子 | 一、御普請衆、幷江戸へ端午ノ御帷子持参申候御奉行、上田忠蔵・村田彦市乗上り候船頭江口彦左衛 |...
View Article■谷主膳という人・細川家と山家藩谷家との因縁
最近ご紹介している「元和拾年(1624) 萬覚書」に、三月三日の記事を最初として、度々「谷主膳」なる人物の名前が登場している。どうやら奥方に関する慶事らしい。 一、谷主膳殿御内儀、御よろこび候ハヽ、上方へ御小早可差上候、其時、沢村大学(吉重)方へ可相尋 御意ノ事...
View Article■元和拾年 萬覚書(14)
(元和十年)三月廿九日 |筑前ヨリ帰参ノ百 | (鳥井畑村) 姓夫婦ヲ人留番ヨ | 一、上毛郡鳥居かはたの甚兵衛・同女房、筑前ゟ帰参仕候とて参候を、高月口人留之御番西村善兵 リ郡奉行へ渡サシ | 衛申来候間、吉田茂左衛門方へ相渡候へと、申渡候ム |...
View Article■熊本城特別公開始まる
10月5日から日曜・祝日限定(5日、7~11日は午後ノミ)ではありますが、熊本城の特別公開が始まります。詳細は公式サイトからご確認ください。 熊本城特別公開について
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